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2014年05月28日

開通前の青函トンネルの思い出(山川秀史)

最初のブログ記事では、開通前の青函トンネルの思い出についてお話させていただきたい。

私ごとながら、以前、東京のソフト化経済センターに勤務いていた。

当時ある信託銀行から出向されていた先輩のお世話で、開通前の青函トンネルに二人で一緒に潜る好運に恵まれた。

昭和六十年春のことだ。

3年後に営業開始を控えて、当時すでに青函トンネルは世間で「無用の長物」呼ばわりされ、海水で埋めてしまえとか、トンネルでシイタケ栽培をしろとか計画の見通しの悪さを非難する声が溢れていた。

そこで、「そんなに無用のものかどうかこの目で確かめてみよう」というのがこの先輩の発案であった。

世の中の不確かな情報に振り回されず、何事も自分の目で、足で確かめてから、というのが彼の信条である。

青函トンネルとひと口にいっても実は三本のトンネルが掘られている。

まず岩盤状況などを探る「先進導坑」があり、別にトンネル掘削作業を補助する「作業坑」、そして実際に列車を通す「本坑」の三本である。

作業用エレベーターで本坑に降り立った時の驚きは今でも忘れられない思い出となっている。

津軽の海底からさらに100メートル下った岩盤中に巨大な人工の洞窟が広がっていた。

山川秀史  
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Posted by 山川秀史 at 14:13山川秀史